大阪市立生野工業高等学校 同窓会
 
同窓生ニュースは、ホームページに掲載させていただきます。ここからご投稿ください。
卒業生3名がアートフェスタ 2016 のイベントに出展します!
● 華道: 内山宗月(ふみよ)氏 (H12)、
● アート魚拓: 松永正津氏 (M14)、
● ワイヤーアート: 笠野輝男氏 (M16)

 上記三名の同窓生が参加出展いたします。ぜひご来場ください。
 会場: 東成区民センター 東成区大今里西3−2−17
     地下鉄千日前線・今里線 「今里」下車

上記画像は、アートフェスタ東成2016の案内冊子の
イメージを一部使用させていただきました。

報告: HP委員 内山ふみよ(H12)
 
時計・計器科卒業生が、新聞の取材を受けました!
 
 時計・計器科13期 玉田 寿夫(ひさお)さんは、時計修理の本業の傍ら、月に一度講師として出向く大阪府時計高等職業訓練校において、後進の指導に当たっている。
今回、「高級な機械式時計の人気が高まる中、『時計職人』を育てる職業訓練校の受講生が増えている。」ことから、「時計職人の卵」への技術の継承に携わる玉田さんに、朝日新聞が取材し5月19日付け夕刊に掲載をした。
 記事には、「…力加減だけは口で伝えられない。」と、指導する側の困難さや、「大阪には技術を高める土台がある…」と、長年の経験からの地域性、「修理して、動かなかった時計が動き出した時は『心臓の音が聞こえた』という感じがする。…」と仕事をする上でのやりがいなどにも答えていた。
 生野工で培った、「ものづくり」の息吹は老いることなく、ますます輝きを増し後身に引き継がれています。
 
 
朝日新聞 5月19日(夕刊)に掲載されたイメージです。
 
報告:宮坂吉有樹(H13)
 
 
同窓生の活動をご紹介します
 
向かって右端でバスクラリネットの材木繁夫氏(E19期)
 同窓生の活動をご紹介します。
 5月3日 枚方公園駅近くにある京阪園芸ガーデナーズで同窓生材木繁夫さん(E19期)がクラリネットアンサンブルで演奏されました。バラの花の数と種類に圧倒されました。
 春の午後、満ち足りたひと時でした。
 
 
報告: HP委員 鈴木祥子 (H4)
 
 
アート魚拓 「中国で喝采!」 (毎日新聞に掲載)
 

松永正津氏(M14期)
 去る4月7日の毎日新聞で 「アート魚拓」 が記事として掲載された。 魚拓とは、獲れた魚を記録にするために用いられる技法のひとつで、古く は江戸時代にさかのぼる文化である。
本来は、墨などで形を写し取るものだが、直接法「アート魚拓」とは墨または絵の具を、自分のイメージで創作表現し、これを魚拓にするもので、 松永さんの作品は、今にも動き出しそうな感じさえ受ける。この技法は、紙 を剥がしたあとは「目玉」以外、一筆の加筆・修正もしない技法であるため、塗り始めから終わりまでかなりの集中力を必要とする。

その「アート魚拓」が中国で注目を集めている。絵の具を使った「アート魚 拓」を50年以上作ってきた大阪市東成区の松永正津さん(M14期)は16年2 月17日、天津で開かれたイベントに招待された。松永さんがその技法を伝 えた中国では、アート魚拓が本家日本をしのぐ勢いだという。
中国では90年代半ばに、国営出版社が松永さん監修の魚拓教本とビデオを販売。松永さんは中国で講習会を開いてアート魚拓の技法を伝えた。今回釣り具メーカーなど約4,000社が集う中国最大規模のフィッシングショーで スズキの魚拓制作を実演し大喝采を浴びた。

現在松永さんは、1977年に「東洋魚拓 拓正会」を設立した後、会員約 30人への指導を続けている。
松永さんによると 「絵でも写真でも表現できない日本独自の文化をもっと世 界の人に知ってほしい」 と話している。昨年行われた75周年記念同窓会総会の懇親会においても松永さんの「アート魚拓」が賞品として提供された。

報告: HP委員 材木繁夫 (E19)
 
記事掲載(イメージ)
 
恒例の東成アートフェスタに同窓生3名が出展
2014年6月6日から8日(日)まで大阪市立東成区民センターにて 【アートフェスタ東成】 が開催されました。
下記の通り同窓生3名が出展いたしましたのでご報告いたします。
 
 
山内宗月(ふみよ)氏(H12)のいけばな作品です。
松永正津氏(M14)のアート魚拓。制作方法や苦労話の講演がありました。
松永氏が主宰するアート魚拓 拓正会展のポスター
笠山輝男氏(M16)のワイヤーアートの作品です。
取材:HP運営委員会
 
「七転八起」 澤田秀雄氏(M24) HIS会長の記事紹介
 

この川を越えたら何があるだろう。子どもの頃から好奇心が強く、高校時代には自転車で紀伊半島を一周しました。1日に100`・b進み、ユースホステルに泊まる。舗装されていない道也地図ではわからない難路も多くて、計画通りに行きません。体験しなければ真実は理解できない、と実感…。(讀賣新聞 2014年1月20日 朝刊より抜粋)

 画像はイメージです。詳細は本紙をお読みください。

 

記事提供: 鈴木 裕 氏 (M24)

 
 
M2生が母校訪問
 

平成25年12月10日、M2期生の鎮(しずみ)弘一様と浦上茂次様が懐かしい母校を訪れ、M2期当時の資料をご提供いただきました。 ご本人の了解のもとHPに掲載させていただま す。

機械科の木造校舎前集合写真
機械科の実習風景(旋盤実習)
機械科製図実習風景
伊勢神宮(内宮)鳥居前にて
資料のご提供:M2期生の鎮(しずみ)弘一様と浦上茂次様
お二人で母校を訪問 (同窓会館 「創建館」の前にて)
 

取材協力:宮坂 吉有樹 先生

 
 
永浜 修 氏(H4)の「達人の作法」 読売新聞記事紹介
 

時計修理人 永浜 修さん(H4期卒)の記事が夕刊 読売新聞(2013年9月28日土曜日)に掲載されましたので、許可を得てここに転載します。

上記の画像をクリックすると記事が閲覧できます。
 

HP運営委員会

 
 
「逆風満帆」 澤田秀雄氏(M24) HIS会長の記事紹介
 

40年余り前の冬、澤田秀雄(62)は大阪市立生野工業高校の卒業を前にしていた。機械科の教諭だった下村勉(75)が澤田に「進路は決めたか」と尋ねると、迷いのない返事が返ってきた。「僕は世界一周の旅にでます。進路は帰ってきてから考えます」… (朝日新聞記事より抜粋)

朝日新聞 2013年3月16日から23日、30日と「逆風満帆」に3回連載された記事を新聞社およびご本人の承諾を得て転載させていただきます。

 
上記の画像をクリックすると記事が閲覧できます。
朝日新聞の連載記事 「逆風満帆」 に3回掲載されました。
 

HP運営委員会

 
黒大豆栽培スタートに参加
私、小林立憲(H7)が参加している篠山市今田町上小野原地区の援農ボランティア(ふるさとむら)で、黒大豆の種播き作業が行われました。
以前から種まき作業を楽しみにされていた出向井 亘理事 (M14) が参加されました。(昨年秋の収穫にも参加されています)。
10月中旬に枝豆(若豆)、11末下旬に黒豆になります。
 

黒大豆の種豆 (昨年収穫の黒豆で
よりすぐりのものを種豆として使います)

コロコロ(45cm毎に種を播く穴を開けます、
俗称コロコロという手作りの農具です)
種まきと土伏せ(穴に豆を播きその上を軽く土を被せます)
2週間後、芽が出ますが鳥や虫の被害にあった部分に
別に育てた苗で補います(補植)
 

 取材: HP運営委員 小林立憲 (H7)

 
 
アートフェスタ東成
H25年5月31日(金)〜6月2日(日)東成区民センターで開催されました。
同窓生3名が出展・参加いたしましたのでご報告いたします。
 
アートフェスタ東成とは主に東成区の芸術家の協力で、
肩肘を張らず身近にアートを感じてもらう為のイベントです。
アート魚拓で参加の松永正津さん(M14)の作品です。
目玉以外は一筆の加筆修正もしていません。
数々のアート魚拓の作品展示
ワイヤーアートで参加の笠野輝男さん(M16)の制作体験の様子。
大人から子供まで定員オーバーになる程の大盛況でした。

ワイヤーアート作品の展示です。

いけばなで参加の内山ふみよ(H14) の作品。
今回は初夏をイメージした作品です。

 
 報告: HP運営委員 内山ふみよ (H12)
 
 
 
農業ボランティアで黒大豆農場へ
小林立憲(H7)が活動する農業ボランティアの黒大豆農場へ
枝豆の刈り取りに来られましたのでご報告します。
 

出向井亘さん(M14)、内山ふみよさん(H12)姉妹3名、
プラスお孫さん2名で楽しい一日を過ごしました。

絶好の天気の中、刈り取りと言う貴重体験と、
黒大豆枝豆をゲットして楽しまれました。
上小野原営農組合、ふるさとむらの振興に協力頂きました。
丹波篠山 黒大豆
 

 取材: HP運営委員 小林立憲 (H7)

▼ 軟式野球部 OBとの交流戦

 昨年に引き続き 7月15日の10時から13時本校グランドにて 夏の大会の激励とOBとの親睦を兼ねて交流戦を開催しました。
 交流戦の選手OBと応援のみの古OBが十数名参加しましたが 炎天下で鍛えられた現役には歯がたたずに、今年の交流戦を終えました。

OBの方へ 練習の協力依頼 21日(土)7時30分 当校グランド練習を行います。指導等協力をお願いします。

22日(日)9時    泉尾工高グランド 練習試合をします。

第57回 全国高等学校軟式野球選手権大阪大会 で当校は26日(木)大阪商大と一回戦を行います。
皆様の 盛大なる応援をお願いします。

≪大阪府高等学校野球連盟軟式部≫

 
 
 

 取材: HP運営委員 小林立憲 (H7)

 

 
 
▼ 有志によるカラオケ同好会 (仮称) 開催しました
開催日 H24年07月27日(金)
午後6時〜10時 (この間、自由参加)
場 所

「喫茶イノウエ」
大阪平野区加美北1−19−9 井上マンション1F
090-8366-4931

会 費 約2,500円 (想定)
食事、飲み物、各品500円 ( 歌い放題)
その他

幹事:青山(M17期)宛て

 

幹事:青山秀樹 (M17期)   世話役:出向井 亘 (M14期)

 
 
▼ 日、韓、朝の友好平和に貢献する卒業生(寄稿)

日本と中国及び韓国は民間の交流は年々発展していますが、国家間においては今日に至るまで良好とは言えず互いに近くて遠い国になっています。
今回は異なる民族同士が健全な共存社会を築くために長年尽力されてきた生工同窓生の富永 勇さんにお願いして活動内容やお考えを寄稿して頂きました。

M15 鈴木信之

ごあいさつ

長守モータース(株) 代表取締役
NPO法人ニッポンコリア友好平和協議会 副理事長
 崔 炳潤 (富永 勇:M15)

今を去ること100年前、欧米列強に伍したとはいえ痛惜の植民地支配36年間にコリア半島からさまざまな理由により渡日して日本各地の炭鉱(三井・三池、麻生等)やマンガン鉱山(園部等)、軍需工場、震災地(関東大震災)などでコリア半島出身者が非業の死を遂げたものである。
殉難者の慰霊なくしてニッポンコリアの友好平和はないとの思いで日本人篤志家、故三木政楠氏の浄財を元にして京都府相楽郡南山城村童仙房の聖地、高麗寺平和公園広場に「日韓友好平和之塔」が建立されました。
時代は移り変わり20余年の歴史を持つ「日韓友好平和之塔を守る会」は平成20年9月をもって新しく「ニッポンコリア友好平和協議会」に衣替えされ、期を同じくしていつまでも恨み、つらみだけの過去にとらわれることなく未来志向的なニッポン・コリアの友好親善を願っているものです。
そういう思いで21年5月には植民地時代に日本で客死して異郷の土に還った「コリア半島出身殉難者慰霊大祭」を四天王寺様のお計らいで韓国様式によって四天王寺・五智光院で開催することが出来ました。
同年12月には奥田聖應会長(四天王寺管長)を団長としてソウル慧光寺において日本統治時代36年間に異郷で客死して韓国の土になった日本人物故者をお慰めする「在韓日本人物故者慰霊祭」を奉行いたしました。日本人が日本語で鎮魂の経を唱えられ、終わりには物故者の胸に届けとばかり参加者全員で、ウサギ追いしかの山・・・で始まる童謡「ふるさと」を合唱しました。
ニッポンコリア間の橋渡しをしている在日の人権擁護を願って、22年5月にはリバティーホールにおいて元官房長官野中広務氏と大阪市立大学教授朴一氏をお迎えしてフォーラム「定住外国人の人権擁護と地方参政権を考える集い」を開催し、戦前から居住する在日の在日たる所以(ゆえん)と100年にわたり彼らを取り巻いてきた負の環境の問題点を、無関心のままに終始している日本社会に投げかけました。 毎年元旦には西成あいりん地区三角公園において、故郷でお雑煮をたべながら新年を迎えることが適わなかった方々にせめてものトック(韓国風お雑煮)600食の炊き出し事業を18年間継続しています。
ニッポンとコリア及び世界平和を祈願しながら、毎年一度の慰霊祭が幾多の困難を乗り越え多くのニッポンコリア有志の合力で開催されていることは、まさしくわれわれ協議会の目指す姿そのままであります。
生野工業高校在学中に恩師から教えられた、「無から有を生む」その精神をもってありがたくも現役で働かせていただいています。

平成24年5月17日

【寄稿】 崔 炳潤 ( 富永 勇 : M15 )

 
 
▼ H7期 小林雄次版画展のご案内
 
常任理事会の場で小林雄次氏(H7)の個展の開催情報をいただきましたので、ご案内いたします。 『 いろはに 』 のページには会場風景の動画も見ることができます。
会場 : 山ノ口商店街(アスティ山ノ口)中ほどにある 『 いろはに
【 記事提供:HP運営委員会 】
▼ 朴 曾孝 (新井忠吉) 氏が韓国から投稿!
謹啓、私は2期生の朴 曾孝 (新井忠吉) といいます。
終戦前、大阪大空襲で焼き出され命からがら韓国に帰国し、その後警察官になりましたが、朝鮮戦争が勃発し北朝鮮軍に最後の堡塁だったプサンの近郊50kmまで攻め込まれたとき最前線で最後まで奇跡的に生き残りました。
大阪生まれで韓国での学校教育を受ける機会のなかった私には追憶の泉とも言うべき生工の学び舎で教えていただいた恩師、一緒に学んだ学友の面影は一生忘れることが出来ません。その間、2期生の方々から数百通の書信を時折読み返しては懐かしさで胸がいっぱいになるほどです。
特に戦争の真っ只中だった1951年9月上旬UN軍の反撃で最前線が北朝鮮まで北上し警察官本来の任務に復帰したときのことで、学歴を問う同僚中多くは日本の公立中学卒業を信じられないというのでそれを証明するために母校にお願いしたところ当時の校長でおられた初代校長、村部省三先生から別添の親書を送っていただきました。それを同僚に見せたところ、国交も正常でなかった複雑な時期に異国の卒業生にも拘らず親書を送ってくださるそんな立派な人の下で教育を受けたのかといわれ、自分が褒められたような気分になりました。その時の先生に対する有難さは今でも忘れはしません。
その後、母校に対しては2期生の卒業60周年総会参席後、母校を訪問しました。そのほか創建17号50P、19号60Pに私事を掲載させていただき、我が子や孫たちに戦争当時の武勇伝とともに自慢話の種としています。
この度、同期の道端昭典様から母校創立70周年総会に関する情報を受けましたのでこの機会にこのメールを送り異国の卒業生である私の思いを同窓の皆様方にお伝えくだされば光栄の至りです。 では、母校の発展と同窓会長を始め同窓会に名様方のご健勝を心からお祈りいたします。

2011.2.10  朴 曾孝 (新井忠吉) 拝上
初代校長、村部省三先生からの親書 (1951年9月28日)

下記は、その後に朴氏から送られてきたお礼の手紙です。

前略 私のような者の存在を同窓会ホームペイジに掲載いただき そのうれしさでより一層活気を感 じるようになり、福永さんとこの件に関与して下さつた皆様がたに深く感謝しております。
思へば生工入学当時、都島工業仮校舍で授業していたのですが実習後手洗い石けんとして直径3cm位 いの米糠を丸めたようなものを使ふとき都島の先生が 「こらこら居侯は (当時市立工業は都島、泉尾 、酉島、難波、工芸、生野の第?工業があつた) 石けんを大切に使へ」 と言われたとき、仮校舍で 学ぶ悲哀を感じながら生野の新校舎移転を一刻如三秋の思いで過ごしておった記憶がのこつておりま す。
それから村部初代校長先生のことですが、私に書いてくださった親書の末尾に東亞の発展のため 大いに働いてもらいたいと書いておられたのですが、敗戦の傷あともいえない当時東亞の発展を念願 されておられたのですからいま中国、韓国の目覚ましい発展を天国でよろこんでおられるでしょう。 大校長と評判の高かった先生を今更ながら忍んでいる次第です。
又、私にとって忘れることのできな い恩師森永三三カ先生のことですが卒業当時担任されておられ、先生の斡旋で就職し初任給57円、 そのとし6月には増産手当40円ボーナス50円をうけるほど幹部工員として待遇されました。あの 当時私の父の故郷では土地200坪が200円程度でしたから收入はよかつたのですが戦災のためな がくつとめることができなかつたのが残念でした。
私の妻も堺うまれで関心深く同窓会のみなさま方の心暖かさに感謝しております。勿論同僚達にもこ のメイルをみてもらいます。
重ね重ね感謝の意をおつたえし会長様、同窓会のみなさまがたにもよろしくおねがいいたします。 では福永さんの御健勝と御多幸をお祈りしながらお別れと致します。

機械2期 朴曾孝 (旧名 新井忠吉) 拜上

(JISコード不整合のため一部に文字化けがあり編集しました。)

【記事投稿: 朴 曾孝 (新井忠吉: 第2期生)

 
 
▼ M14期会 母校にカレンダー贈呈
機械科14期の有志の皆さんで母校に 2010年カレンダー(松永正津氏カラー魚拓:リョービ社製)を 「ものづくりは人づくり・大阪市立生野工業高等学校」の 名入れをして贈呈されました。 (2009/11/21)
文化祭でM14期の皆さんが母校に訪問されるのを機に「贈呈式」を行いました。 カレンダーは、地元の中学校など生野工のPR活動の一環として配布し、活用されます。
 
 
【記事提供:今井武男氏(M14)】
 
 
▼ 松永正津氏 (M14) の 「魚拓で見る琵琶湖と日本の淡水魚」 展 <記事投稿:福永和男(E41)>
  
在学中の松永さんはどんな生工生だったのでしょうか。手が器用だったとか、製図が得意だったとか、それとも芸術家肌の魚つり少年だったのでしょうか。
鮮やかな色彩の魚たちを、忠実に魚拓に・・・。 今にも額から飛び跳ねて、泳ぎだしそうな魚たち。
水中で泳いでいるかのような魚拓です。 ヒレの一枚、ウロコの一枚まで、まるで生きているかのような鮮明さです。

そのほかにも、琵琶湖博物館では、常設展示で「琵琶湖の生い立ち」や  「琵琶湖周辺の遺跡」「出土した化石」などの展示や、 琵琶湖にすむ魚や、淡水魚の「水族館」もあります。 みな、童心に帰り目を輝かせて見学してきました。

この日の昼食は、琵琶湖博物館・館内のレストランで、ブラックバス天丼とナマズ天丼 を、各々注文。写真撮ってこなかったのが残念。私は、ブラックバスを 食べたのですが、臭みも無く淡白な味わい。普通の白身魚と同じにびっくり。 美味しかったですよ!ナマズも同じく、大変美味しかったそうです。

▼今回は、M18期の先輩の皆さんに、大変お世話になりました。 ありがとうございました。また、ご馳走様でした。 また、ご一緒できたら良いですね! しかし、皆さん仲が良いんです。今回もチョッと声をかけたら 5名が集まっていました。いつもは、もうチョッと集まるんだとか。 ワイワイガヤガヤ、面白おかしく集うんだそうです。 また、みなで同窓会をやる予定を立案中とか・・・

E41 福永和男
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