上記画像は、アートフェスタ東成2016の案内冊子の イメージを一部使用させていただきました。
この川を越えたら何があるだろう。子どもの頃から好奇心が強く、高校時代には自転車で紀伊半島を一周しました。1日に100`・b進み、ユースホステルに泊まる。舗装されていない道也地図ではわからない難路も多くて、計画通りに行きません。体験しなければ真実は理解できない、と実感…。(讀賣新聞 2014年1月20日 朝刊より抜粋) 画像はイメージです。詳細は本紙をお読みください。
記事提供: 鈴木 裕 氏 (M24)
平成25年12月10日、M2期生の鎮(しずみ)弘一様と浦上茂次様が懐かしい母校を訪れ、M2期当時の資料をご提供いただきました。 ご本人の了解のもとHPに掲載させていただま す。
取材協力:宮坂 吉有樹 先生
時計修理人 永浜 修さん(H4期卒)の記事が夕刊 読売新聞(2013年9月28日土曜日)に掲載されましたので、許可を得てここに転載します。
HP運営委員会
40年余り前の冬、澤田秀雄(62)は大阪市立生野工業高校の卒業を前にしていた。機械科の教諭だった下村勉(75)が澤田に「進路は決めたか」と尋ねると、迷いのない返事が返ってきた。「僕は世界一周の旅にでます。進路は帰ってきてから考えます」… (朝日新聞記事より抜粋) 朝日新聞 2013年3月16日から23日、30日と「逆風満帆」に3回連載された記事を新聞社およびご本人の承諾を得て転載させていただきます。
黒大豆の種豆 (昨年収穫の黒豆でよりすぐりのものを種豆として使います)
取材: HP運営委員 小林立憲 (H7)
ワイヤーアート作品の展示です。
いけばなで参加の内山ふみよ(H14) の作品。 今回は初夏をイメージした作品です。
出向井亘さん(M14)、内山ふみよさん(H12)姉妹3名、 プラスお孫さん2名で楽しい一日を過ごしました。
昨年に引き続き 7月15日の10時から13時本校グランドにて 夏の大会の激励とOBとの親睦を兼ねて交流戦を開催しました。 交流戦の選手OBと応援のみの古OBが十数名参加しましたが 炎天下で鍛えられた現役には歯がたたずに、今年の交流戦を終えました。
OBの方へ 練習の協力依頼 21日(土)7時30分 当校グランド練習を行います。指導等協力をお願いします。
22日(日)9時 泉尾工高グランド 練習試合をします。
第57回 全国高等学校軟式野球選手権大阪大会 で当校は26日(木)大阪商大と一回戦を行います。 皆様の 盛大なる応援をお願いします。
≪大阪府高等学校野球連盟軟式部≫
「喫茶イノウエ」 大阪平野区加美北1−19−9 井上マンション1F 090-8366-4931
幹事:青山(M17期)宛て
幹事:青山秀樹 (M17期) 世話役:出向井 亘 (M14期)
日本と中国及び韓国は民間の交流は年々発展していますが、国家間においては今日に至るまで良好とは言えず互いに近くて遠い国になっています。 今回は異なる民族同士が健全な共存社会を築くために長年尽力されてきた生工同窓生の富永 勇さんにお願いして活動内容やお考えを寄稿して頂きました。
M15 鈴木信之
ごあいさつ
長守モータース(株) 代表取締役 NPO法人ニッポンコリア友好平和協議会 副理事長 崔 炳潤 (富永 勇:M15)
今を去ること100年前、欧米列強に伍したとはいえ痛惜の植民地支配36年間にコリア半島からさまざまな理由により渡日して日本各地の炭鉱(三井・三池、麻生等)やマンガン鉱山(園部等)、軍需工場、震災地(関東大震災)などでコリア半島出身者が非業の死を遂げたものである。 殉難者の慰霊なくしてニッポンコリアの友好平和はないとの思いで日本人篤志家、故三木政楠氏の浄財を元にして京都府相楽郡南山城村童仙房の聖地、高麗寺平和公園広場に「日韓友好平和之塔」が建立されました。 時代は移り変わり20余年の歴史を持つ「日韓友好平和之塔を守る会」は平成20年9月をもって新しく「ニッポンコリア友好平和協議会」に衣替えされ、期を同じくしていつまでも恨み、つらみだけの過去にとらわれることなく未来志向的なニッポン・コリアの友好親善を願っているものです。 そういう思いで21年5月には植民地時代に日本で客死して異郷の土に還った「コリア半島出身殉難者慰霊大祭」を四天王寺様のお計らいで韓国様式によって四天王寺・五智光院で開催することが出来ました。 同年12月には奥田聖應会長(四天王寺管長)を団長としてソウル慧光寺において日本統治時代36年間に異郷で客死して韓国の土になった日本人物故者をお慰めする「在韓日本人物故者慰霊祭」を奉行いたしました。日本人が日本語で鎮魂の経を唱えられ、終わりには物故者の胸に届けとばかり参加者全員で、ウサギ追いしかの山・・・で始まる童謡「ふるさと」を合唱しました。 ニッポンコリア間の橋渡しをしている在日の人権擁護を願って、22年5月にはリバティーホールにおいて元官房長官野中広務氏と大阪市立大学教授朴一氏をお迎えしてフォーラム「定住外国人の人権擁護と地方参政権を考える集い」を開催し、戦前から居住する在日の在日たる所以(ゆえん)と100年にわたり彼らを取り巻いてきた負の環境の問題点を、無関心のままに終始している日本社会に投げかけました。 毎年元旦には西成あいりん地区三角公園において、故郷でお雑煮をたべながら新年を迎えることが適わなかった方々にせめてものトック(韓国風お雑煮)600食の炊き出し事業を18年間継続しています。 ニッポンとコリア及び世界平和を祈願しながら、毎年一度の慰霊祭が幾多の困難を乗り越え多くのニッポンコリア有志の合力で開催されていることは、まさしくわれわれ協議会の目指す姿そのままであります。 生野工業高校在学中に恩師から教えられた、「無から有を生む」その精神をもってありがたくも現役で働かせていただいています。
平成24年5月17日
【寄稿】 崔 炳潤 ( 富永 勇 : M15 )
下記は、その後に朴氏から送られてきたお礼の手紙です。
前略 私のような者の存在を同窓会ホームペイジに掲載いただき そのうれしさでより一層活気を感 じるようになり、福永さんとこの件に関与して下さつた皆様がたに深く感謝しております。 思へば生工入学当時、都島工業仮校舍で授業していたのですが実習後手洗い石けんとして直径3cm位 いの米糠を丸めたようなものを使ふとき都島の先生が 「こらこら居侯は (当時市立工業は都島、泉尾 、酉島、難波、工芸、生野の第?工業があつた) 石けんを大切に使へ」 と言われたとき、仮校舍で 学ぶ悲哀を感じながら生野の新校舎移転を一刻如三秋の思いで過ごしておった記憶がのこつておりま す。 それから村部初代校長先生のことですが、私に書いてくださった親書の末尾に東亞の発展のため 大いに働いてもらいたいと書いておられたのですが、敗戦の傷あともいえない当時東亞の発展を念願 されておられたのですからいま中国、韓国の目覚ましい発展を天国でよろこんでおられるでしょう。 大校長と評判の高かった先生を今更ながら忍んでいる次第です。 又、私にとって忘れることのできな い恩師森永三三カ先生のことですが卒業当時担任されておられ、先生の斡旋で就職し初任給57円、 そのとし6月には増産手当40円ボーナス50円をうけるほど幹部工員として待遇されました。あの 当時私の父の故郷では土地200坪が200円程度でしたから收入はよかつたのですが戦災のためな がくつとめることができなかつたのが残念でした。 私の妻も堺うまれで関心深く同窓会のみなさま方の心暖かさに感謝しております。勿論同僚達にもこ のメイルをみてもらいます。 重ね重ね感謝の意をおつたえし会長様、同窓会のみなさまがたにもよろしくおねがいいたします。 では福永さんの御健勝と御多幸をお祈りしながらお別れと致します。
機械2期 朴曾孝 (旧名 新井忠吉) 拜上
(JISコード不整合のため一部に文字化けがあり編集しました。)
そのほかにも、琵琶湖博物館では、常設展示で「琵琶湖の生い立ち」や 「琵琶湖周辺の遺跡」「出土した化石」などの展示や、 琵琶湖にすむ魚や、淡水魚の「水族館」もあります。 みな、童心に帰り目を輝かせて見学してきました。
この日の昼食は、琵琶湖博物館・館内のレストランで、ブラックバス天丼とナマズ天丼 を、各々注文。写真撮ってこなかったのが残念。私は、ブラックバスを 食べたのですが、臭みも無く淡白な味わい。普通の白身魚と同じにびっくり。 美味しかったですよ!ナマズも同じく、大変美味しかったそうです。
▼今回は、M18期の先輩の皆さんに、大変お世話になりました。 ありがとうございました。また、ご馳走様でした。 また、ご一緒できたら良いですね! しかし、皆さん仲が良いんです。今回もチョッと声をかけたら 5名が集まっていました。いつもは、もうチョッと集まるんだとか。 ワイワイガヤガヤ、面白おかしく集うんだそうです。 また、みなで同窓会をやる予定を立案中とか・・・